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色々な事が好きだけれど、世の全てを見れる筈は無い。これはとても残念な事か。人を選ぶ様に作品も選ばないといけない。
当たり前だけど大雑把に人は生きる時間の限りがある。それの割振りなんて計算出来ないし、道徳の中でやりたいようにやって死ぬだけだ。

小さい頃に父がよく美術館に連れて行ってくれた。(教養がある様な場所しか父は連れて行ってくれなかった)横浜国立美術館だった気がするけどゴッホやモネとかしか覚えてないが、兎に角ベストヒットオムニバスみたいな展覧会だった。父がこの中で一番お前が気になった作品はどれだ?って聞くので、ポールシャバスって人の女の子の絵が良かったと言ったら、そのポスターを買ってくれた。昨日、その絵をネットで探していたんだけど出てこない。探してる内に何万という情報を掻き分けているのに気づいた。

そんなんで直感や好みの話になるんだけど。そんな時から少しの経験も含めて選んでいたんだなぁと。
トランスフォーマーは観ないけどアベンジャーズ観るとか、デフトーンズやTOOLは聴くけどメタリカはあまりとか。其々違うのだが、選びに選んで生きていて今がある。
無限に時間があっても世界の創作された物に追いつく事は出来ない。
今を生きて感じ手に取った事にしか成長や真実は見出せない。しかし、地球の欠片として只々朽ちていくのは本意ではない。だから、未だ見ぬ本質に突き詰めて納得して朽ちなければ哀しすぎる。
経験や年齢が嵩むと行動や選択するのにも時間かかる様になった
それでも自分には選択し続ける事が自分が生きているそのものなんだろうと。
それと、一つの事をずっとやり続けている人を尊敬する。本当に大切な物事を見つけた証拠だから。

多角的に見て、それでも主観や存在理由は変わらないかもしれないが、何度も選択してより良いと思う愛の様な地に、両脚がついていればいい。それが本望で、それは1日だけでもいいんだ。