感覚

命を大切に考えている自分と、もう死んでしまおうかという自分がいる。こんなクソモラトリアムを既に克服出来た人が羨ましい。
自分の必要性を考えると不必要な事しか出てこない。自分を必要と思ってくれる人を探しているのは、自分の必要性を確認し未来へ生きていける希望を探しているから。それは悪だよな。
それでも諦めてしまえば何も残らないし、周りも哀しむだろう。命は自分の物だけじゃないと思うのと自分はどの位他人には必要なのかと、いつも天秤にかける。左に傾き右に傾く。
死ぬ覚悟があるなら何でも出来るなんて嘘だ。綺麗な心のまま死にたいのだ。泥臭くても生きていれば素敵だと思う心は常に揺らいでいる。
こんな自分はこの先、愛を求めて良いのだろうか。下らないから死ぬ事にしたら綺麗だろうか。明日も考えるだろう。生きている限り付き纏うだろう。苦しみは愛があっても消えるかも解らない。こんな自慰の様な心に無償の愛が生まれるのか。あっさり死ぬかだけかも。
この不快な文章は愛が見つかったら消そうと思う。けれど、その前に死んだらそれはそれで良い人生だと思う。
醜い自分は醜い心を嫌う。矛盾している日々と絶え間無い悪寒の中で誰にも迷惑をかけない様にしか自分は世に貢献出来ない。
明日も世界の端っこで細々と消費していく。誰も知らないまま。少しづつ。